習い事とアートとか
現在週一でダンスを習っておりまして、先日はいつもと違う、代講の先生でした。
いつもの先生よりグイグイ系で要求も高く、アラサーの私は準備運動で軽く背中攣って以来スタジオの隅の方でささやかな諦めモード、でもレッスンを受けながら思い出したことがあったのでここに収録。
件の先生は、女の子だけのクラスってことで
「今日は表現力の勉強です。みんなの内にあるセクシーさを見せてください。」と言っていた。
けどまぁ、もっとセクシーに! とか言われても抽象的でわからんわけで、
例えば歩くとき、あごを上げ気味にするとか、
胸とか腰とか回す動作は気持ちゆっくりにするとか、
ポーズのとき体のカーブが目立つ向きで立つとか、
そういうのあると良いわけです。具体的な技術論があると、実践ができてくる。
クラスの大半は中学生以下だし、
実生活がセクシーじゃないのに思いだけでセクシーになるはずない、
アンダルシアやブエノスアイレスあたりの娘ならそれもあるかも知れないが、
ここは東洋、日本、「ふんっ!」つって処女のセクシー開花したら怖いよ。
それで思い出したのが、敬愛するアート方面の先輩が、「アートは愛だけじゃなく技術です。」って言ってたこと。
印象的な言葉を連発する人で、前後を補うと「溺れそうな心を、アートが救うことがある。アートは愛だけじゃなく技術です。泳げなくちゃだめなんです。」だったと思う。
だから技術面の研鑽を積みなさいよ、という意味であろう。
表現とかアートって、才能もあるけどそれを作品というのかな、具現化したり凝縮して保存できるピースにしたりするには技術を経由するんですね、当たり前といえば当たり前だけど。
思いとか情熱と技術がうまくシンクロすると、観る方も快く揺さぶられる表現ができる。
別に日常生活でアート生み出さなくても良いわけですが、
例えば会社で後輩指導するときも、
「もっと積極的に!」とか言うより、
「お客様からのメール見て、分からないところがあったら毎回先輩に相談のうえ、お客様に電話しようか。」と言った方が、
細かいやり方から入って、気づいたらスタンスも身についてましたの方がいいのかな、って、
久しぶりに思ったのでした。
アートは人生に必要か、的な命題が、昔フランス語の宿題であったようななかったような。
今日も私に幸あれ。