所変われば価値観変わるの話など
先日友人たちと話していて、グローバル企業で働いてる友人が
「インドの人は、相手がまくし立てるのを遮って話すのが普通というかむしろマナーで、遮ってくれないと永遠に話し続けなければならない文化らしい」
と言っていたのが目から鱗だった。
なんだか、そろそろまた新しい言語なり、過去ものにできなかった言語のリベンジなり、したいような星の巡り。
私が十代の頃衝撃を受けたのはフランス語の教科書に載っていた例文たちで、
本当にフランスの人はこんなこと考えてるんですかねと思ったこと数知れず。
例えば、初級の教科書・副詞の例文で花占いが登場。
Il m’aime...(彼は私のことを…)
beaucoup とても好き
passionnément 熱烈に好き
à la folie 気が狂うほど好き
pas du tout 全く好きじゃない
なにその四択。
4分の3、自分に有利だし、かと思うと残り4分の1が地獄すぎるし、何を言っているのか。
もう一つ、前置詞<entre> 、これは「〜の間」って意味があるのですが、二者の間はentre で、三者以上の間になると<parmi>を使う。
英語でいうbetweenとamongですね。
その、entreの例文。
「男と女の間には、暗くて深い淵がある。」
要る? その重い話?
フランス語学習はそんなんばかり。
こんなんフランス人相手に言う勇気ねえぞって例文も多かったけど、そこは徐々に麻痺していった。
後年アラビア語を学習したときは、また様子が変わりました。
初級はおろか中級の教科書にも色恋沙汰は登場せず、
「愛」とくれば対象は「アッラー」。(たまに祖国か家族)
その他、
「カイロは古くて美しい街です」とか
「今はヒジュラ暦何年ですか?」とか
「ムハンマドは最後の預言者です」とか
こちらもしっとり麻痺していった。
ちなみにペルシア語に飛び込んだ友人は、
最近習ったお気に入りの一文は
「ザクロは何個必要ですか?」
だと言っていた。
おいらまだ、ザクロが必要になったことねぇな…。
今日も私に幸あれ。