アジカンというバンドについて

通勤時間が長くなったので、iPhoneに入れる曲が多くなっている。

久しぶりにアジカン(ASIAN KAN-FU GENERATION)のアルバムってか、ベストアルバムの骨盤(ホネバン)を聴いている。

このアルバム、アジカンのなかで「骨っぽい曲」を年代シャッフルして構成し直しているので、私のような中途半端なファンはどれが昔の楽曲でどれが比較的最近のなのか、もう全くわからん。

ただただ、アジカンというバンドが全面的に立体的に浮かび上がってくるアルバムになっていて、というかそのバンドに特有の音、音世界、ってあるんだねって今更気付く秋です。

昔はとかく歌詞にばかり意識が行きがちで、極端な話、バンドのボーカルのソロプロジェクトの意味が分からんというか、ボーカル(多くのバンドの場合フロントマンで、作詞担当。しばしば作曲も)がバンドの全てでは? わざわざソロやらんでも、って思い込んでいたけど、全然そんなことねぇわ。

バンドは全部でバンドだわ。


アジカンでいえば真っ黒な地面を作っていくドラムもかっこいい。一気に背景を染め抜くギターフレーズにもしびれる。

そして、個人的にはアジカン聴くとほぼ自動的に中村佑介の絵が一枚ひらりと舞ったり、アニメのように動いたりするんだけど、たぶんその人物を動かしているのはベース音。

アジカンのフロントマンは間違いなく後藤氏ですが、彼の詞曲を生み育てる土壌はバンドなんだよねっていう当たり前のことを。

若い頃は、そのへんのチームの力があんまり分かってなかったのだなぁ。


そんでどういうことが起きるかというと、最近新曲 ボーイズ&ガールズを初めてラジオで聞いたとき、ゴッチが歌い始める前に「あ、アジカンだ」って思った。

あの惓んだ声がアジカンなのかと思いきや、あの微熱でヒリヒリする歌詞がアジカンなのかと思いきや、サウンドが既に全部アジカンだったのねって、

なんて真昼に突然の理解、なんか嬉しくてアジカン聴きたい! ってなってこの記事の冒頭へ続く。



今日も私に幸あれ。