読書日記②
最近読んだ本のことなど。
・きことわ
ずっと気になっていた朝吹家のご令嬢の芥川賞受賞作。素晴らしかった。
さすが文学者の家系ともいうべき丁寧で緻密、それでいて涼やかな文体が大変良い。
なんかこう、一つひとつの言葉をきちんと吟味して、ためつすがめつ向き合って、キャンパスに置いていくような、職人の手仕事のような文章でした。
親族に翻訳家の朝吹登水子氏がいらっしゃるのですが、少し翻訳にも近いような呼吸と所作を彷彿とさせる文章。
モチーフと文章がよく合っているというのも幸福。
・草枕
言わずと知れた名作を読み返して、漱石の文章、改めて好き。
作家は知性の権化であってほしいという私の願望を軽く飛び越え、行間から滲み出る教養と品、諧謔とユーモアとあぁもう。
同時代人からみたらどうだったのかはいざ知らず、現代の私が読むと漱石先生にとってはこの言葉遣いがごく普通で、とりわけ気取ったわけでも、背伸びしたわけでもないように感じるのですが、どうですか。
草枕、10代の頃読んだときは、なんか何が言いたいのか分からん本でした。
それが、今これ。
歳をとってよかったなーと思うのは、古典の経年繰り返し読みの醍醐味が分かるようになったこと。
聖書でよく言う、「昔読んだ時はあまり気にも止めなかったけど、同じ話、今読んだらすごく分かるし、心にしみる」的なやつです。
話飛ぶけど最近、たまに行くバーのマスターに、ふいに「私実家に住んでるんですけど」って言われたことがあって、
そのカミングアウト(本人はカミングアウトとも思ってない、多分、しかし私にとっては、推定40手前のバーテンダーに実家住まいを告白されるのは、やはりさらりとは流せない)に面喰らってそれ以降お酒が愉しめなくなったことがあったのですが、
これは草枕でいうところの「世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる」。
さすが漱石先生、分かっていらっしゃると溜飲を下げて、いくらか心が軽くなりました。文学の力。
年の瀬の様々なごちゃごちゃに心が掻き回されたときは、草枕の山奥に連れ去られて物思いに耽るが吉。
内省の師走の朝の草枕
・1984年
重かった。面白かったけど、重かった。
今の日本ではもう、純粋に面白いとは言えない本。
背筋が寒くなるのが作中、党が思想統制のため国語を加速度的に簡素にしていく話。
語彙を絞った国語辞書の編纂を言語学者にやらせて、国民の思考の幅を狭めていく、というか最終的には思考そのものを不可能にしていく。
私は高校生のとき、言葉は自分にとって神だ、という文章を書いたことがあるのですが、神を奪われると人は生きていけないのですよ。
戦う価値のある戦いを戦いたいね。
次は水村美苗を読もうと思います。
今日も私に幸あれ。