映画は人生、どこまでも
しばらくブログの更新が途絶えました。
忙しかったのである。場末のOLも期末は一丁前に忙しかったのである。
そしてようやく落ち着いてきた。春。
お仕事だいぶ消耗したので、まずは何本か映画を観たい。
あぁ、プラダを着た悪魔が観たい。
正真正銘のお仕事系眼福映画です。
メリル・ストリープとアン・ハサウェイの掛け合い、煌びやかなお洋服、メリルの本音…
この映画で一番好きなのは、秘書になりたてのアンが、他部署のベテラン、ナイジェルに愚痴を言うシーン、
アンの泣き言を聞いていた彼が一言
So quit. (なら辞めろ)
って言うんです。
この仕事に就きたい人はゴマンといるんだからって。
これがしびれる。
ついつい人のせい、環境のせいにしちゃうけど、自分で選んだ仕事だし、嫌なら辞めればいいんですよ。ほんとに。文句ばかり言ってたら周りに迷惑。
なんかあるたびに私の中でナイジェルが言う。
So quit.
それからフランス映画観たい。
フランス映画ってつくづく不思議で、大体結末ハッピーエンドじゃないし、伏線回収しないし、fin.って字幕が観客を突き放して置き去りにするんだけど、
ふと普段の生活の中で思い出したり、噛み締めたり、勇気をもらったりすることがすごく多い。
つまり映画館では全く寄り添ってくれないくせに、実生活ですっと現れて側にいてくれたりするのです。そんなことって。
予定調和なんてどこにもない人生と、愚直に向き合うための装置が映画なのかもしれない、つまりこの人たちにとって。
自分にも人にも厳しい友人に会った後みたいな、ほろ苦くて泣き笑いしちゃう感じよ。
さー今年度は高めの目標立てたし、また一年がんばるぞ。
上記、エイプリルフールではない。
今日も私に幸あれ。
iPhoneに苦戦するおばあちゃんがかわいかった
年越しに夫の実家に帰り、御年84歳のおばあちゃんに久しぶりに会った。
会った初日にガラケーからiPhoneにするからと更新に立ち会い、
しかしiPhoneの使い方分からないから孫一同質問攻めにあう。
私も孫の亜種である。
話を聞いていて思ったのは、文字が小さいのもさることながら、何が起きたのか認識しづらいのが最大の敵。スマホって、すうっとタッチしただけでずんずん操作が進んでいくじゃないですか。
たとえば複数の人から同時にLINEがくる、ちょっと触ったら違う画面に変わる、ていうか触ったつもりは無いのにいつのまにか別のナニカ(アプリ)が立ち上がってる、あれやこれやですぐ迷子になる。
反応が良すぎるのです。感度が。
結果、スピードが速すぎて何が起こってるのかわからないまま、あんまり親しくない人からLINEがきて、「電話くれた? どうしたの?」とか言われたりする。
思い通りにタップするためにもコツがいって、押したつもりない所押していたり、かと思うとずっと押してるのに反応しなかったりする。ストレス!
これは私が直前に大乱闘スマッシュブラザーズで苦戦していたからよく分かった。
今、自分が何をしてるのかも、どこにいるのかもよく分からないのに、いつの間にか落下してて「LOSE!!」とか言われたりする。
なんなん訳わかんない普通にやってるのになんで負けんの。
(もちろん何故負けるか分からないくらい能力が低いから負けているのである)
なので、どうか年配の方向けのスマホを開発する人は、感度が鈍く、デフォルトのアプリが3つくらいで、何をするにも2秒くらいかかるプログラムを開発してくれないかな。
誰か気付いて、この世界の片隅に、となんか切ない気持ちになって年が明けた。
自宅に帰って数日したらおばあちゃんからLINEがきた。
動くスタンプ使ってた。
コインで購入するやつ…
私はスマブラできるようにならないけど、おばあちゃんほスマホを使えるようになった。
なんならスマホ依存じゃないかって思うくらい即レスがくる。
すげえな、おばあちゃん、これからも貴方の背中を追いかけていきます。
今日も私に幸あれ。
読書日記、のようなもの
読んでいて、ちょっと一度発語しないと知恵熱で苦しいのでこの文章を書いている。
人生には時々「一生もの」の出会いがある。
10代初めに江國香織を知ったときは「わたしの作家だ」と思い、
20代初めに内田樹を知ったときは「この人は私に用があるのだ」と感じ、
今回水村美苗を知って、「私は一人ではなかったのだ」と思った。
おそらく単純にいくつかの共通点、日本語と英語とフランス語を話し、人生のある時期に外国人に囲まれる経験を有し、結局自分の寄って立つ処は日本語なのだと大袈裟に自覚し、洗練された日本語に強い愛着を持ち、気位ばかり高くて心から気に入るものが極端に少ない等々が理由なのだけど、そんなことはこの際どうでも良くて、私は自分のために、この出会いを言祝ぐ次第。
今日も私に幸あれ。
暮らしの練習帳
年末忙しくて心が荒む。
いつもつんけんしてる同僚が忘年会で、「何にでも小ねぎを散らして色を稼ごうとしないで欲しい」とか言い出すので、
だったらてめえは一生白いもんだけ食ってろって言わなかった自分を褒めてあげたい。
また先日、別の同僚のデスクトップ画面が黒字に白抜きの「努力・根性・忍耐」になってたので吐き気がして、代替案を思案。
心がはずみ、以て仕事がはかどる三語を考える練習。
刺激・創意・報酬
洒脱・豪勢・聡明
本質・情熱・承認
睡眠・栄養・運動
このへんで心が落ち着いてきたのであったかいココアでも飲んできます。
今日も私に幸あれ。
読書日記②
最近読んだ本のことなど。
・きことわ
ずっと気になっていた朝吹家のご令嬢の芥川賞受賞作。素晴らしかった。
さすが文学者の家系ともいうべき丁寧で緻密、それでいて涼やかな文体が大変良い。
なんかこう、一つひとつの言葉をきちんと吟味して、ためつすがめつ向き合って、キャンパスに置いていくような、職人の手仕事のような文章でした。
親族に翻訳家の朝吹登水子氏がいらっしゃるのですが、少し翻訳にも近いような呼吸と所作を彷彿とさせる文章。
モチーフと文章がよく合っているというのも幸福。
・草枕
言わずと知れた名作を読み返して、漱石の文章、改めて好き。
作家は知性の権化であってほしいという私の願望を軽く飛び越え、行間から滲み出る教養と品、諧謔とユーモアとあぁもう。
同時代人からみたらどうだったのかはいざ知らず、現代の私が読むと漱石先生にとってはこの言葉遣いがごく普通で、とりわけ気取ったわけでも、背伸びしたわけでもないように感じるのですが、どうですか。
草枕、10代の頃読んだときは、なんか何が言いたいのか分からん本でした。
それが、今これ。
歳をとってよかったなーと思うのは、古典の経年繰り返し読みの醍醐味が分かるようになったこと。
聖書でよく言う、「昔読んだ時はあまり気にも止めなかったけど、同じ話、今読んだらすごく分かるし、心にしみる」的なやつです。
話飛ぶけど最近、たまに行くバーのマスターに、ふいに「私実家に住んでるんですけど」って言われたことがあって、
そのカミングアウト(本人はカミングアウトとも思ってない、多分、しかし私にとっては、推定40手前のバーテンダーに実家住まいを告白されるのは、やはりさらりとは流せない)に面喰らってそれ以降お酒が愉しめなくなったことがあったのですが、
これは草枕でいうところの「世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる」。
さすが漱石先生、分かっていらっしゃると溜飲を下げて、いくらか心が軽くなりました。文学の力。
年の瀬の様々なごちゃごちゃに心が掻き回されたときは、草枕の山奥に連れ去られて物思いに耽るが吉。
内省の師走の朝の草枕
・1984年
重かった。面白かったけど、重かった。
今の日本ではもう、純粋に面白いとは言えない本。
背筋が寒くなるのが作中、党が思想統制のため国語を加速度的に簡素にしていく話。
語彙を絞った国語辞書の編纂を言語学者にやらせて、国民の思考の幅を狭めていく、というか最終的には思考そのものを不可能にしていく。
私は高校生のとき、言葉は自分にとって神だ、という文章を書いたことがあるのですが、神を奪われると人は生きていけないのですよ。
戦う価値のある戦いを戦いたいね。
次は水村美苗を読もうと思います。
今日も私に幸あれ。